【短編小説】 透明な色のイラスト
窓から差し込む午後の光がスケッチブックの白い紙面を照らしている。
花音は鉛筆を持つ手を止めて部屋の隅に置かれた観葉植物を見つめた。

モンステラ。

葉の切れ込みが不規則で生命の偶然性を感じさせる造形。
買ってから三週間毎日水をやり話しかけ成長を観察している。

「……今日も、元気だね」

誰もいない部屋で呟く自分の声が少しだけ寂しく響いた。

スマートフォンの画面には大学の課題グループLINEの未読が28件。
開けば明日の合評会についての活発なやりとりが続いているのだろう。
クラスメイトたちは互いの作品について忌憚なく意見を交わし合っている。

花音は画面を伏せた。

自分の描いた絵を他人に見せる。
それは裸で人前に立つような感覚だった。

線の一本一本に言葉にならなかった感情が籠もっている。
拙いタッチや不安定な構図
全てが自分の脆さを露呈している気がして。

「怖い」

素直な本音が口から零れた。

翌日の合評会は予想通り賑やかだった。

「この色使い、めっちゃ攻めてるじゃん!」

「構図が斬新すぎて、最初意味わかんなかった。
でもじっと見てると引き込まれる」

教室の壁に並んだ作品たちが次々と評価されていく。
花音は教室の後ろの席で
自分のスケッチブックを膝の上に置いたままその光景を眺めていた。

「水瀬さん、まだ見せてもらってないよね?」

担当教授の声に視線が一斉に集まる。
心臓が跳ねた。
手のひらに汗が滲む。

「あの……まだ、完成してなくて」

嘘だった。
昨夜何度も描き直して
結局最初の線が一番良いと気づいて完成はしていた。
ただ見せられないだけ。

「そっか。じゃあ次回ね」

教授は優しく微笑んで次の学生の作品へと目を向けた。

ほっとすると同時に胸の奥に苦い塊が沈んでいく。
また逃げた。
また自分を守った。
このままでは何も変わらない。
そんなことは分かっているのに。

合評会の後
一人でキャンパスを歩いていると後ろから声がかかった。

「水瀬さん、ちょっといい?」

振り返ると同じクラスの雨宮凛が立っていた。
ショートカットに赤いピアス
いつも堂々と自分の作品を語る彼女。
花音とは正反対のタイプ。

「さっき完成してないって言ってたけど……嘘でしょ?」

心臓が止まりそうになった。

「スケッチブック、ずっと抱えてたじゃん。描けてないなら持ってくる必要ないし」

凛の言葉は厳しくなかった。
むしろ静かで優しかった。

「私も昔、そうだったから。見せるの、怖いよね」

「……え?」

「高校の時、コンクールに出した絵、めちゃくちゃ酷評されて。半年くらい誰にも絵を見せられなかった」

凛は照れくさそうに笑った。

「でもさ、描いたものって見てもらわないと完成しないんだって気づいたの。他人の目を通して初めて自分の絵が何かになる。怖いけどそれが創作の醍醐味だと思う」

花音は何も言えなかった。
ただ胸の奥で何かが音を立てて動いた。

「無理にとは言わないけど……私、水瀬さんの絵、見てみたいな」

その夜
花音は部屋でスケッチブックを開いた。

そこにはモンステラの絵があった。
ただの植物画ではなく
葉の切れ込みから光が漏れその光が部屋中に拡散していく様子を描いたもの。
不完全な形から生まれる美しさ。
孤独な部屋を満たす小さな生命の輝き。

自分が何を描きたかったのか今なら分かる気がした。

傷つくことを恐れて人との距離を保ってきた。
でも完璧でない自分の中にも光はある。
その光を誰かに見てもらいたい。
そう思っている自分がいる。

花音はスマートフォンを手に取りグループLINEを開いた。

「明日、私の絵も見てもらえますか」

送信ボタンを押す前に少しだけ躊躇した。
でも指は震えながらも確かにそれを押した。

すぐに既読がつく。
凛からスタンプが送られてきた。
親指を立てたシンプルな「いいね」。

窓の外で夜風が木々を揺らしている。

花音は深呼吸をしてスケッチブックを閉じた。
明日が来ることが少しだけ楽しみだった。
怖いけれどそれでも。

モンステラの葉が月明かりの中で静かに揺れていた。
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